アネックスでの不思議な体験

Secret Episode

これは遠い昔のことではなく、平成になってから同僚のNさんが実際に体験した話だと言います。
もっとも、平成一桁の頃なので「もう30年以上前になってしまうけどね」と軽い冗談めかして付け加えました。

その当時、オープンしたてのアネックスカワトクは、直営でさまざまなショップを展開していました。同僚のNさんが働いていた、焼きたてパンのコーナーも、その名物の1つでした。Nさんをはじめスタッフは準備のために早朝から店舗に入り、一から生地をこね、オーブンで焼き上げ、毎日おいしいパンを並べていました。
お客さまがパンを食べる時の笑顔を思い浮かべながら、新しいレシピを考える時が、何より楽しかったとNさんは言います。

Nさんはその日も午前3時過ぎに出社し、仕込みの準備をしていました。
早朝の誰もいない店内に、Nさんの生地をこねる音だけが響きます。
黙々とパンの仕込みをしていると、ふと人の気配を感じました。
誰か、いる…?

顔を上げ、ふと目をやると、マス―ルさん(修道女)が店内を横切るようにスーッと歩いていました。
足音もなく。

―ああ、マス―ルさんが来られたんだな。

その頃はアネックスカワトクがドミニカン修道院の跡地に建てられたこともあり、移転した修道院で作られたお菓子などを、マス―ルさんが販売のためにお届けに来ることもめずらしくありませんでした。
いつも見慣れた光景のため、最初Nさんは気にも留めなかったといいます。

ただ、ふと時計に目をやった時に、Nさんははっとしました。
時計の針が指しているのは午前4時前。
―マス―ルさんが来るのに、いくら何でも早すぎる。
胸の奥にじわりと冷たいものが広がります。

仕込みを終え、外が明るくなってから警備の人に尋ねました。
「今朝、私と同じくらいの時間に社員や取引先の方の出入りはありましたか?」
警備の人はさっと記録に目を通し、静かに答えました。
「いいえ―誰も。」

それでは、Nさんが見た人は一体誰だったのでしょう?
かつて祈りが捧げられた修道院。 その跡地に建つ新しい建物の中を、 時を越えてなお、静かに歩き続けている者がいるのかもしれません。
怖いというより、 “この場所にはまだ何かが息づいている” 。
そんな気配だけが、Nさんの心に残ったのでした。

※この物語は体験談をもとにした創作です。