川徳創業160周年記念連載小説

FACES 第2話

南海 遊

 その問いがまるで傷に触れたかのように、深山は顔を一瞬だけ顰めた。美奈子とは深山の恋人である。たしか20代の後半で、盛岡市内の病院で看護師として働いている、と伊東は聞いていた。

「……それが問題なんだ。どうしたらいいと思う」

 と、深山は縋るような情けない表情で伊東を見つめた。いつもの舞台上での自信満々な深山からは遠くかけ離れた顔である。

「まだ何も話していないのか?」

 伊東が訊ねると、深山は目頭を押さえながら俯いた。首肯しているのだろう。伊東は思わず溜め息をついた。

「遠距離恋愛というのもなかなかしんどいだろう」と伊東は言う。「これまで二人の間で結婚の話題とかは出たりしなかったのか?」

「いや、まぁ、出ていないわけではないというか、向こうも最近はあまり言わなくなってきたというか……」

 しどろもどろに答える深山を、伊東はじとりとした目で睨み付ける。大方、のらりくらりとその話から逃げてきたのだろう。罵倒が口を突いて出そうになるが、伊東は呑み込む。何となく、深山の心境も理解できなくはない気がしたのだ。もし所帯を持てば、東京に出て俳優になるという夢が今度こそ潰えるかもしれない——そんな身勝手な不安が、伊東にも容易に想像できた。
 見るに見かねた伊東は指を3本立てて見せた。

「選択肢は三つだろうな」

「三つって?」

「一つ目、美奈子さんを捨てて東京に行くこと。自分の夢を叶える為の犠牲として割り切るんだ」

 深山は絶望的な表情を浮かべた。

「そんなこと、俺にできるわけがないだろう」

「では二つ目。このまま遠距離恋愛を続けること。ただ正直、これは30代半ばの男が選ぶ選択肢としてどうかとは思う。無責任だ」

 深山が「ぐ」と唸った。

「最後の三つ目だけど、これは簡単だ。今すぐ美奈子さんに結婚を申し込んで一緒に東京に連れて行くんだ」

 深山は押し黙る。彼自身、本当に取るべき選択肢がどれなのか、自分の中で見当が付いているように伊東には見えた。だが、深山は未練がましくも言う。

「……遠距離恋愛というのは、やはりうまくいかないものなんだろうか」

「うまくいってる恋人たちもいるかもしれない。でも、統計的に見れば少数派なんじゃないか」

 腕組みをして唸る深山に、伊東は更に付け加えた。

「それに第一、遠距離恋愛を選んだとして、その先のゴールは何処になるんだよ。俳優として成功して美奈子さんを東京に呼び寄せることか、それとも夢破れて盛岡に戻ってくることか?」

「おいおい、俺は夢に破れるつもりで東京に行くわけじゃないぜ」

 むっとして言い返す深山に、伊東もまた叱りつけるように言う。

「でも、俳優として成功できるかどうかなんて誰にもわからない。おまえがこれからやろうとしているのは、そういう人生を賭けた挑戦なんだろう?」

 深山は何か言おうとしたが、結局言葉は出てこなかった。

「——四つ目の選択肢というのもあるぞ」伊東はそんな彼の肩に手を置き、告げる。「東京に行くのをやめて、盛岡に残るんだ。美奈子さんとの関係も今まで通りだし、劇団も続けられる。酒屋には有能な人材を迎えられる」

 伊東の言葉で、深山は沈痛な面持ちで再び俯いた。おそらく、その選択肢はこれまで何度も頭の中で繰り返し考えてきたことなのだろう。そして、それを選んでしまいたくなる自分自身との葛藤も。
 しかし、顔を上げた深山の目には、既にその選択肢は見えていないようだった。それを確認した伊東は、無言で深山のグラスにビールを注ぎ足す。深山はそれに口をつけ、喉を一度ぐびりと鳴らした。

「だが、伊東」と、深山は再び自信なさげな表情に戻る。「その、三つ目の選択肢……つまりは、なんだ、プロポーズのことなんだが……さすがに厳しいと思わないか?」

「厳しいって?」

「結婚の申し込みと同時に、一緒に東京に来てくれって言うわけだろう。さすがに重すぎやしないか?」

 その指摘に伊東は初めて言葉を吞んだ。確かに深山の言う通りである。それはつまり、今の暮らしを全て捨てて、これからの人生まるごとを自分にくれと申し出るようなものだ。当然、それを受け入れられる女性もいるかもしれない。だが、その申し出そのものが持つある種の男の傲慢さのようなものに、伊東は違和感を覚えてしまった。そしておそらく、深山も同じ心境なのだろう。

「だからさ、まずは半分じゃないか」深山が神妙な顔で言う。「つまり、プロポーズというカードはまだ切らずに、東京に一緒に付いてきてくれないか、っていう」

 それも何だか女々しいような気もするが……という考えが一瞬、伊東の脳裏を過る。しかし、そんな考え方自体が既に古くなり始めているのかもしれない。
 その後も二人は「ああでもない」、「こうでもない」という堂々巡りの議論を繰り返した。あまりに熱心に語り合っていたものだから、せっかくの打ち上げの席だというのに、周囲の劇団の仲間たちも声を掛けることができなかった。だが結局、二人が下した最終的な結論は、「東京に行く旨を伝え、一緒に付いてきてくれないか相談する」という、最初と全く変わらぬものだった。
 何杯目になるか分からぬビールに口を付けながら、深山が僅かに酩酊した様子で問う。

「ところで伊東、おまえはどうするんだ?」

「どうするって、何が」

「おまえだって役者を目指していたんじゃないのか」

 伊東は黙り込む。自分を見つめる深山の瞳には、何処となく怯えにも不安にも似た色があった。楽屋で投げつけられた『いつまで百貨店で働くのか』という質問の意図が、ようやく伊東は腑に落ちた気がした。

「要するに、『一人じゃ心細いから一緒に役者を目指さないか』とおまえは言いたいのか」

 伊東が揶揄するように言うと、深山は顔を顰めた。

「そうじゃない。ただ、俺は」

 と、そこで深山は言葉を切る。続く言葉を見失ったかのような切り方だった。おそらく深山は戸惑っているのだろう。これから自分が選ぼうとしている道が、本当に許されるものなのか、と。伊東はしばらく深山の顔を見ながらその続きを待った。

「……伊東は自分の人生に満足しているのか」

「今の所は、それなりにね」

「どうして百貨店で働くんだ?」

「百貨店を一つの劇場として考えるというマーケティング方法が海外にはある」伊東は即答した。「そこで働く人間たちをキャストに見立てるんだ。それがユニークで面白いと思ったのが最初のきっかけだ。それに実際やってみれば、バイヤーの仕事や売り場作りは舞台演出に通ずる面白さもあって、俺の性に合ってる」

 そう言ってビールを呷る伊東を、深山は感心するように見ていた。そして、脱力したような笑みを漏らす。

「たぶん、それが俺とおまえの大きな違いなんだろうな」

「止めないぞ」伊東は言った。「劇団セミカラーは俳優、深山進太郎を応援する。行って来いよ」

 伊東が背中を叩くと、そこでようやく深山の表情の強張りが解けた。

「ああ、ありがとう」

 恩返しをしとかないとな、と深山はぽつりと付け加えた。いいよ、そんなもの、と伊東は再びビールを煽った。少しぬるくなっていたけれど、妙に美味いビールだった。


 

作家プロフィール

南海 遊(みなみ あそゔ)

秋田県横手市出身、岩手県盛岡市在住。2018年、『傭兵と小説家』で第24回星海社FICTIONS新人賞を受賞し、翌年作家デビュー。2024年に刊行された『永劫館超連続殺人事件 魔女はXと死ぬことにした』は、各誌のミステリーランキングに名を連ね、ミステリー界の注目株として高い評価を受ける。会社員として働く傍ら、作家活動を続け、盛岡文士劇にも出演するなど、多方面での活躍に期待が寄せられている。

■作者コメント
まだ20代の時分、私はこちらの川徳で働かせていただいておりました。
私のこれまでの人生で、あれほどまで多種多様な人たちと出会った時代は無かったと思います。そしてその経験は間違いなく、現在の私の執筆の礎になっています。今回、川徳を舞台にした小説を書く機会をいただきまして、当時のことを懐かしく思い出しながら執筆させていただきました。
歴史ある百貨店の中で「繋がっていく物語」を、どうか楽しんでいただけると嬉しいです。

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