屋上遊園地の思い出
記憶の中の「あの顔」を思い出す
バスに揺られて一時間半。田舎から盛岡へ向かうその道のりは、子どもだった私には少し長く、それだけに胸が高鳴る時間でもあった。
母の実家に泊まると決まって、翌日は川徳の屋上へ行った。
盛岡に近づくにつれ、窓の外の景色が変わり、心もそわそわと落ち着かなくなる。
歩いて十分ほどの距離だったが、その道のりさえ待ちきれなかった。


屋上に出た瞬間、ふっと風が通り抜ける。
爽やかな空気が心地よく、空は思っていたよりもずっと広かった。
遠くから聞こえてくる電車の音が、胸に飛び込んでくるようだった。
何度も足を運んだその場所は、いとこたちとの遊び場であり、いつの間にか私の記憶の中にしっかりと根を下ろしていった。

とりわけ印象に残っているのは、電車やモノレールだ。
高い場所を走るその姿は新鮮で、子ども心に特別な乗り物だった。
私は遊び回る従兄弟たちの監視役のような立場で、走り回る背中を目で追っていた。
振り回されるような忙しさも、今思えば楽しい時間だった。
子どもたちのたわいのない会話や、ころころと変わる表情を見ているだけで、笑いがあり、喧騒があり、気づけば一日が過ぎていた。
誰もが生き生きとしていて、あの場所には不思議な活気があった。

遊園地でたっぷり遊んだあとは、五階の食堂へ向かうのが決まりだった。
アイスクリームやお子様ランチの記憶が、今もぼんやりと残っている。
母の買い物について行くことも多く、売り場を歩く時間さえ特別なものに感じていた。
ある日、母が頼んだ鍋焼きうどんを、私は半分ほど食べてしまった。
母は何も言わず、静かに微笑んでいた。その時は気にも留めなかったが、今になって思えば、あれは母なりの遠慮だったのだろう。

やがて縁あって、私は川徳で働くことになった。昼休みの合間、ふと屋上に上がることがあった。
そこは幼い頃のにぎわいとは違い、静かで、自分だけの時間を確保できる場所だった。
私にとって屋上は、秘密基地のような存在だった。

幼い頃、遊園地の帰りに立ち寄った駄菓子屋や本屋は、いつの間にか姿を消し、実家だった場所も今では駐車場になっている。
時代の流れとは、そういうものなのだろう。
それでも、昭和の息吹を感じさせる店はいまも残っている。
肴町で昔から親しまれてきた精肉店の、ラードで揚げたメンチカツ。
少し場所を移した老舗食堂の、たぬき丼。
今でも私は自転車に乗り、時折そこを訪ねる。味とともに、あの頃の空気がふっとよみがえる瞬間がある。
これからのは屋上は、ぜひ芝生と青空と太陽が主役の場所であってほしい。
公園と川の間に立ち、季節が美しい弧を描くような空間。
寝ころびながら、子どもたちが元気いっぱい走り回る姿を眺める。
そんな声が重なり合い、夢のようなハーモニーになる場所を、私はもう一度見てみたい。
■取材協力:庄内 敏広様(川徳 OB)
■参考文献
川徳創業 140 年記念誌『奉仕こそわがつとめ』
*2007( 平成 19) 年、川徳創業 140 年記念誌編集委員会 / 非売品
川徳本店新築開店記念誌『ParcAve.’ 80』
*1980( 昭和 55) 年川徳新店舗開発事務局 / 非売品



