川徳創業160周年記念連載小説
FACES 第3話
南海 遊

伊東は盛岡市の百貨店、『川徳』に勤める百貨店員である。勤続10年目を迎えた今、伊東は営業企画の係長として催事の運営を担当していた。
伊東が今手掛けている仕事はハンドメイドジュエリーの大型催事である。全国のみならず、海外の工房からも取り寄せた一点もののアクセサリーを展示販売するイベントで、伊東はその担当責任者としてここ数ヶ月、忙しい日々を送っていた。
劇団の舞台の翌日にその催事の初日がぶつかってしまったのは伊東にとって少々しんどかった。打ち上げのおかげで身体の奥底には鉛を埋め込まれたかのようなずっしりとした疲労感が残っている。些か二日酔いの頭で最後のジュエリーのディスプレイを終え、伊東は疲労と満足感が綯い交ぜになった吐息をつく。
悪くない。ディスプレイを作ることは、舞台の演出を考えることに少し似ている。役者である商品をどうやって魅せるか。どれだけ疲れていても、それを考えるのは伊東にとって楽しい作業でもあった。
時計を見やると開店までまだ30分以上は時間があった。伊東は缶コーヒーで一息入れるべく、催事場の上階にある社員食堂に向かった。その道中、プレイガイドのカウンターから声がかかる。
「あ、ちょっと、ちょっと伊東係長!」
声を掛けてきたのはおかっぱ頭をした若い女性社員だった。何度か社内で見かけたことはあったが、直接会話をしたことは一度もない。制服の名札には『久田』という苗字が書かれている。
「ええと、ヒサダさん、でしたっけ」
伊東が自信なさげに言うとその女性は苦笑した。
「残念。クタ、って読むんです。珍しい読み方ですので、よく間違われますけど」
伊東は愛想笑いを浮かべて頭を掻く。この百貨店にはテナントの店員も含めて400人以上が勤めており、係長という立場の伊東も全員の名前と顔が一致するわけではない。とはいえ、さすがに人の名前を間違えるのはばつが悪かった。
「それで、何か自分に用ですか、久田さん?」
誤魔化すように訊くと、久田は伊東の顔をしげしげと見つめながら言う。
「伊東係長、宝くじ買った方がいいですよ」
「宝くじ?」
「はい。私、他人の運気の流れが見えるんです。見えるっていうか、何となく感じるっていうか。係長、今すっごく良い運が流れてきてます」
伊東は面食らってしまった。
「それ本当?」
「ええ、四柱推命とか九星気学とかで調べても満場一致だと思います」
今度は伊東がしげしげと久田を見つめる番だった。久田の目は真剣で、自分をからかっているようには見えない。
運気が見えるというのは本当だろうか。そんな疑心が首をもたげそうになったが、そこで伊東は表情を緩めた。今日は催事の初日だ。伊東はもともと験を担ぐタイプの人間でもある。運試しも良いかもしれない。
「それなら何枚か買ってみようか」
伊東は自分で5つの数字を選ぶタイプの宝くじを選んだ。記入用紙に適当に頭に浮かんだ数字を鉛筆でマークし、代金と一緒に久田に手渡す。
「宝くじは後でデスクに届けておきますね。ちょうど今日が抽選日ですよ」久田がにっこりと営業用の笑顔で言う。「当たりますように」
何だかまんまと売上に貢献させられたような気もしたが、自社の売上ならいいだろう。社員食堂で缶コーヒーを一本飲み終え、百貨店が開店した頃には、その宝くじのことはすっかり伊東の頭から忘れ去られてしまっていた。
催事は概ね好評だった。事前に送っていたDMを見た得意客が何人か訪れ、午前中だけでも高価格帯の商品が何点か売れた。購入客でなくても、丹精込めて作った売り場をじっくりと見てもらえるのは伊東にとっても嬉しかった。

「お母さん、見て。これ、すごく綺麗。蝶々の形してる」
背伸びしてショーケースを覗き込みながら言ったのは、小学校に入ったばかりといった年齢の少女だった。その傍らには母親らしき女性の姿がある。
少女が熱心に眺めているのは、蝶の形を模したブローチである。羽の部分にダイヤを散りばめたプラチナ製で、伊東がバイヤーとしてセレクトした中でも特に自慢の逸品だ。なかなかお目が高い少女じゃないか、と伊東は感心する。
「お母さんのとお揃い」
「そうね。でも、これはお母さんのよりはちょっと高級品かなぁ」
苦笑する母親の胸元には少し小ぶりな蝶のブローチが輝いていた。施されているジュエリーの装飾は控えめだったが、それがむしろ淑やかな品の良さを醸し出している。
「良ければお手にとってご覧いただけますよ」
伊東が優しく話しかけると母親の方は僅かに逡巡したようだった。しかし、娘の方から強くせがまれ、「見るだけなら」と頷いた。伊東がショーケースからブローチを取り出す様子を、その少女は食い入るように見つめていた。そんな彼女に伊東はかがみ込んで優しく話しかける。
「ちょっと付けてみるかい?」
「えっ、いいの?」
母親が「駄目よ、壊したら大変よ」と言うと、少女の方は「壊さないよ」と唇を尖らせる。その様子が伊東には微笑ましかった。伊東が胸元にブローチを付けてあげると、少女は目をきらきらと輝かせながら喜んでいた。「お母さん、これ買わないの」と見上げてくる少女に、母親は苦笑いを浮かべている。
「それじゃ、美咲ちゃんが結婚するときに買ってあげる」
約束だよ、と念押しする少女の手を引きながら、母親は伊東に小さく会釈をして去っていった。さすがにあの子が結婚するまで取り置きするのは難しいな、と内心で苦笑しつつ、伊東はその背中を見送った。ブローチをショーケースに戻そうとしたとき、一人の男性客から声を掛けられた。
「あの、すみません」
そこに立っていたのはまだ20代くらいの青年だった。随分と急いで来た様子で、肩で息をしながら売り場をきょろきょろと見回している。
「はい、いかがなさいました?」
「ええと、僕と同じくらいの年の女性客が来ませんでしたか? 紺色のワンピースと、クリーム色のカーディガンを着た女性です。髪は肩口くらいの長さで、少し茶色く染めています。ええと、あとは……」
その青年はこめかみを押さえながら、そんな外見的特徴を列挙していく。しかし、伊東は朝からずっとこの売り場にいたが、30代より下の客は今のところ来ていない。先ほどの母親と一緒に来た少女を除けば、ということだが。
「こちらの売り場ではお見かけしておりませんが……もし、どなたかお探しであれば、館内放送でお呼びいたしましょうか?」
「館内放送?」
「ええ。お探しのお名前をお伺いしても?」
伊東が訊ねると、青年は何かに気づいたようにはっとした。
「あ、そうか、名前だと駄目なんだ」
独り言のように言う青年。伊東が首を傾げていると、彼は「すみません、もう少し探してみます」と頭を下げて足早に去って行ってしまった。名前だと駄目? どういう意味だろうか。伊東が頭上に疑問符を浮かべていると、今度は聞き慣れた声が背後からかかった。
「よう、伊東」
振り返ると、そこには深山がどことなく居心地が悪そうに立っていた。どうしたんだ、と伊東が意外に思って訊ねると、深山は照れくさそうに首筋をぽりぽりと掻いた。
「ちょっと、また相談に載ってくれないか」
話を聞くと、深山は恋人へのプレゼントを探しに来たという。しかし、どんなものを選んだら良いかわからず、その選定の相談に載って欲しいとのことだった。
「いや、当然、選択するのは美奈子自身だってことは分かっているんだけれど。ただ、それでもやっぱり、ね」
「プレゼントで少しでも気持ちを傾かせたい、と?」
「ん、まぁ、そんなところだ。あと、ついでに伊東の店の売上に貢献してやろうとも思ったんだよ。突然のことで劇団にも迷惑をかけることになったし」
そのために先ほど銀行で大枚を下ろしてきたんだ、と深山は自分の胸をぽんと叩いた。
彼なりの恩返しというわけだ。律儀な男である。
「当店をお選びいただき、誠にありがとうございます」
冗談めかした言い方で、しかし伊東は恭しく頭を下げた。
伊東は催事場を案内し、展示したジュエリーを一つずつ紹介していく。深山の恋人がどんな性格なのか、好みはどのようなものか、そんな話を聞き出しながら、伊東も真剣にプレゼント選びを手伝った。
「さすがに指輪はプレゼントには重すぎるな」「ピアスは付けてないんだ」「ネックレスは首元の圧迫感が気になると言っていた」「バングルって何だ?」
深山の回答を聞く度に選択肢が刮ぎ落とされ、伊東は苦慮することになった。いったい何をプレゼントすれば良いのか、ビジョンがまったく見えてこない。話を聞くと、深山の恋人はどちらかと言えば現実的なものの考え方をし、実用的な物を好む傾向があるとのことだった。もはやジュエリーのプレゼントが正しいのかどうかすら疑わしくなってくる。せめて何か他の切り口は無いものかと、伊東は質問を投げかけた。
「何か美奈子さんと特別な思い出は無いのか?」
「そういえば付き合い始めの頃、二人で小岩井農場に遊びに行ったのが印象に残ってるな」
伊東はふむ、と考え込む。小岩井農場は岩手にいるカップルの殆どが一度はデートで訪れる場所だ。そこで深山が思い出したように手をぽんと叩いた。
「そうだ、そこで二人で蝶を探したよ」
「蝶?」
「たしか、その前に寄った県立博物館で見た展示がきっかけだった。アオスジアゲハっていう蝶。美奈子が羽の青色を気に入って、見つけてみたいって言ったんだ。小岩井にも蝶はたくさんいるからね」
どうやらその蝶は首都圏などには多く生息しているが、最近の岩手では少し珍しい品種であるらしい。
「それで見つかったのか?」
「いや、結局は見つけられなかった。でも、付き合い始めでお互いに少し緊張していたのが、その蝶を探すことがきっかけで打ち解けたような気がする」
結局、そのエピソードが一番の決め手となった。
最終的に選ばれたのは、先ほどの母娘にも見せた蝶のブローチだった。値札を見て深山は僅かに逡巡する様子を見せたが、結局は現金で一括払いをした。
「あの日、見つけられなかった蝶だ」と、伊東はプレゼント用に包装した品物を差し出した。「上手くいくといいな」
「悪かったな、付き合わせて」と深山は言う。「今週末に会う予定だから、後で報告するよ」
深山はそのプレゼントの表面を撫でながら、少し照れくさそうに言って帰っていった。
良い仕事ができたような気がする。伊東は深山の背中を見送りながら、そんなことを思った。
その日の営業時間を終え、伊東が催事場の奥にあるオフィスに戻ると、デスクの上に封筒が置かれてあった。その中身を見て自分が今朝、宝くじを買ったことを思い出す。そういえば久田は今日が抽選日だと言っていた。伊東は缶コーヒーに口を付けながら、何となく携帯電話で宝くじのサイトを覗いてみる。
そして、思わずコーヒーを咽せてしまった。画面と宝くじの番号を何度も見比べる。一等ではないものの、当たっていた。しかも二等の14万円が。
——すっごく良い運が流れてきてます。
まさか、久田の言っていたことが本当だったとは。もしやあの女性社員は座敷童子の血縁か何かだろうか、そういえば髪型も似ているしな、などという馬鹿げた発想をしてしまうくらいに、伊東の頭の中は混乱してしまう。落ち着く為に大きく深呼吸し、椅子の背もたれに体重を預けて天井を仰いだ。
波打つ幸福感の狭間に、少しだけ暗渠のような暗闇を感じた。今日の仕事は充実していた。おまけに宝くじまで当たった。となれば、次は運気の揺り戻しで不幸がやってくるのではないか。伊東はそんな風に思ってしまうタイプの人間だった。
だがしかし、それは当たっていた。
数日後、深山から伊東に一通のメールが届いた。
そこには恋人と別れた旨が一言だけ書かれていた。

作家プロフィール
南海 遊(みなみ あそゔ)
秋田県横手市出身、岩手県盛岡市在住。2018年、『傭兵と小説家』で第24回星海社FICTIONS新人賞を受賞し、翌年作家デビュー。2024年に刊行された『永劫館超連続殺人事件 魔女はXと死ぬことにした』は、各誌のミステリーランキングに名を連ね、ミステリー界の注目株として高い評価を受ける。会社員として働く傍ら、作家活動を続け、盛岡文士劇にも出演するなど、多方面での活躍に期待が寄せられている。
■作者コメント
まだ20代の時分、私はこちらの川徳で働かせていただいておりました。
私のこれまでの人生で、あれほどまで多種多様な人たちと出会った時代は無かったと思います。そしてその経験は間違いなく、現在の私の執筆の礎になっています。今回、川徳を舞台にした小説を書く機会をいただきまして、当時のことを懐かしく思い出しながら執筆させていただきました。
歴史ある百貨店の中で「繋がっていく物語」を、どうか楽しんでいただけると嬉しいです。








