岩手日報社 × 川徳
特別対談
変わるまち、変わるひと
“かお” と向き合いながら 前編

1866(慶応2)年創業の川徳と、1876(明治9)年創刊の岩手日報社。近代岩手の夜明けとともに誕生した両社は、幾多の激動を乗り越え、地域の暮らしと文化を支え続けてきました。2026年、川徳は創業160周年、岩手日報社は創刊150周年の歴史的な節目を迎えます。デジタル化や価値観の多様化が加速する今、地域密着を掲げる両社のリーダーは何を見据えるのか。川徳の新コンセプト「FACE 場所からかおへ」に込めた想いや、「対面」と「信頼」の価値、そして未来に向けた共創のビジョンを熱く語り合いました。

原点と使命
近代岩手の夜明けから続く歩み
―両社の「歩み」を振り返ってください。
斎藤
川徳は江戸末期に、現在の盛岡市鉈屋町付近で木綿商として創業しました。1898年に「川徳呉服店」に改称、1937年に百貨店の認可を受け現在に至ります。この間、「えびす講」の開始(1920年)、盛岡初のアドバルーン広告(1931年)、県内初のエスカレーター設置(1957年)など、良い物を売るだけでなく新しい文化を地域に届ける役割も担ってきました。店舗もまちの重心の変化とともに移動し、1980年に現在の菜園に移転しました。戦中・戦後の混乱、競合店の進出、震災、コロナ禍など幾多の困難もありましたが、市民・県民の皆さまに支えられ、160周年を迎えることができました。
川村
岩手日報は川徳創業から10年後、明治維新の激動の最中に産声を上げました。明治天皇の東北巡幸の際に発行された「巖手新聞誌」が私たちのルーツです。以来、歴史の目撃者として、喜びも悲しみも克明に記録してきました。振り返れば1961年の社屋本館全焼、2011年の東日本大震災で、新聞発行そのものが危機に瀕しましたが、「情報の断絶は地域の孤立を招く」という使命感で、一度も休まず発行を継続しました。この二つの試練で学んだのは、新聞は単なる紙の束ではなく、地域の「命綱」だということです。伝統とは、ただ守るものではなく危機を乗り越える中で研ぎ澄まされてきた「不屈の意志」であると確信しています。
同志の絆
「老舗」が存在し続ける価値
―商業と言論。それぞれの立場から岩手を支えてきた互いの役割をどう感じていますか。
斎藤
岩手日報の紙面には常に川徳の広告や催事記事がありました。私たちは美術や工芸といった芸術・文化の振興にも力を注いできましたが、その歴史は岩手日報によって記録されてきました。互いに岩手・盛岡の「かお」として高め合ってきた「同志」のような感覚があります。
川村
川徳が生活・文化を彩り、豊かさを提供してきた一方、私たちは岩手の今を伝え、明日を考える指針を提示してきました。両社が果たす役割は、単なる情報の伝達や物販にとどまらず、岩手という共通のアイデンティティーを形作ることだったと思います。老舗と呼ばれる企業が地域に存在し続けることは、それだけで「変わらない安心」という無形の価値だと考えます。これからも岩手の精神的な支柱として共に手を取り合い、この土地に根を張り続けていきましょう。
【創刊150周年岩手日報社×創業160周年川徳「特別対談」の全編は、4月17日付けの岩手日報本紙に掲載しております。】

◾岩手日報社 代表取締役社長
川村 公司 氏
慶応大卒。90年入社。編集局長、広告事業局長、常務取締役などを経て、23年から現職。60歳。花巻市出身。

◾川徳 代表取締役社長
斎藤 英樹 氏
白鴎大卒。94年入社。執行役員営業戦略担当長、取締役計画本部長などを経て、25年から現職。56歳。盛岡市出身。








