川徳創業160周年記念連載小説
FACES 第6話
南海 遊

浅田が百貨店に戻ったのは夕方近くだった。報告の為に外商部に顔を出したが、殆どが出払っているらしく事務所はがらんとしていた。そんな中、見知った顔が浅田に声を掛けてくる。黒髪のおかっぱ頭をした女性だった。
「あ、詩織ちゃん。どうだった、例のお客さん」
「ワコちゃん、何とかなったよ」
浅田が疲弊の滲む笑顔を見せると彼女、久田和子は苦笑した。ヒサダ・カズコではなく、クタ・ワコと読む。浅田の同期の社員で、入社以来、彼女のヘアスタイルは1度たりとも変わったことはない。どうやらこのおかっぱ頭には彼女なりのポリシーがあるらしい。久田は昨年から外商部に配属されており、先ほど浅田が会ってきた鹿野謙造の本来の担当外商こそ、彼女である。
久田は両手を合わせて頭を下げる。
「ごめんね、私が鹿野さんにもっと気に入ってもらえていれば、浅田ちゃんがわざわざ出向かなくても済んだのに」
「大丈夫だよ。あの人、思っていたよりもずっと優しい人だったし」
浅田は今日の出来事を久田に報告した。ボールペンが1本売れたことを伝えると、久田はもっと価格帯が上のペンを勧めてくれば良かったのに、と笑った。
「でも」と久田が言う。
「お孫さんへのプレゼントだなんて、良いお爺ちゃんだね」
「そうそう。お孫さんの話になると本当に好々爺って感じだったよ。娘さんがシングルマザーらしくて」
「そんな話までしてくれるなんて、よほど気に入られたんだね、浅田ちゃん」と久田は少し驚いた表情を浮かべる。
「このまま外商に転属願いを出して鹿野さんの担当になったら? これから高校、大学の入学祝いに就職祝い、それに結婚祝いまで浅田ちゃんから買ってくれると思うよ」
久田は冗談めかして言うが、浅田は「それも悪くないかも」と思った。浅田は当然、鹿野の孫娘のことは顔も知らない。でも、先ほどまで鹿野と一緒に真剣にプレゼント選びをしてきた浅田にとっては、既に他人のようには思えなかった。
「プラザ水沢にいたときにね」
と久田は語り出す。
「とあるお客さんが、息子さんの結婚祝いの品を私から買ってくれたの。そのあとはお孫さんの誕生祝いに新築祝い、他にお仏事や地元のお祭りの祭事品なんかもずっと私から買ってくれてさ。そのお客さんの息子夫婦さんとは結局、一度も会うことはなかったんだけど、何だか今も全然他人のような気がしないんだよね」
「あ、なんか分かる気がするかも」
「でしょ。私たちはさ、赤の他人の人生の節目に関わる事の出来る、ちょっと特別な仕事をしているんだよ、きっと」
久田の言葉が、妙に浅田の胸の奥に残った。
外商部のオフィスを出て3階の売り場に戻ろうとすると、二人の男性がバックヤードで何やら深刻そうな顔で会話をしていた。浅田の上司である課長の岩橋と、2階の婦人服の担当課長である伊東の二人だった。どちらも背が高く端正な顔立ちをしているので、社内の女性陣からはすこぶる人気のある二人である。
「ああ、浅田さん、ちょうど良いところに来てくれた」
浅田を見るなり、岩橋が先ほど悩ましげに曇らせていたその表情を春の陽射しのように明るくさせた。厄介ごとの匂いを嗅ぎ取り身構える浅田だったが、岩橋の甘いマスクがその警戒心を溶かそうと迫ってくる。
「な、何でしょうか?」
「実は6階の書店テナントから全館の担当課長に相談があったんだ」
と説明するのはもう一人の課長、伊東である。
「明日、6階でとある小説家のサイン会があるらしいんだけど、3月なのに書店の人員が軒並みインフルエンザに掛かってしまってね」
「ああ、インフル流行ってますもんね。うちの長男の学校でも先月学級閉鎖になったクラスがあったみたいですし」
「それでとにかく人手がまったく足りていないらしいんだよ」
今度は岩橋が言う。
「他の部からも色々と人を寄せ集めようとしているんだけど、なかなか上手くいっていないみたいだ」
「2階からは私が手伝いに行くことにした」
伊東が補足する。
「3階からも一人出してくれないかと思って、岩橋課長に相談していたんだ」
「ただ生憎、明日は自分は出張でね」岩橋が申し訳無さそうに頭を振る。
「そこで浅田さん、相談なんだけれど……」
浅田は内心で歯噛みをする。本当は売り場の仕事に戻りたいところだが、社を代表するイケメン二人組に頼まれては無碍に断ることもできない。
半ば押し切られるような格好で、頭を縦に振ってしまう浅田であった。
その翌日、小説家という職業の人間を浅田は初めて見たが、第一印象は「思っていたよりも普通の人っぽいな」というものだった。40代に差し掛かろうとしているくらいだろうか。眼鏡を掛けた中肉中背の男性で、特に小説家っぽいオーラのようなものは感じ取ることが出来ない。尤も、普段から小説などあまり読まない浅田の目で見た印象である。
「盛岡出身の作家さんらしいよ」
と伊東が耳打ちする。
「最近出した本が少し売れて、割と注目されているみたいだ」
浅田と伊東はサイン会の行列整理の担当を言い渡された。浅田が想像していたよりもサイン会はずっと盛況で、老若男女70人以上の客が列を成していた。作家本人は書店テナントの奥のテーブルで、不器用そうな笑顔を作りながら一人ずつ丁寧にサインをしている。このペースだと全部終わるまであと2時間くらいはかかるかもしれないな、と浅田は最後尾の看板を掲げながら思った。
「あの、まだ並べますか?」
列が半分ほど進んだ頃に背後から声を掛けられた。浅田が振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。中学生くらいだろう。背が高く、理知的な瞳が印象的な少女だった。
「ええ、まだ大丈夫ですよ」
浅田が答えると、その少女は自分の来た方を振り返って
「お母さん、まだ大丈夫だって」
と声をかける。エスカレーターの方からは母親らしき女性が、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってきていた。額にはうっすらと汗が浮かび、息は少し切れている。よほど急いで来たらしい。少女は母親の元に駆け寄ると、その手を取ってアテンドする。「間に合って良かった」と、その母親は浅田に向かって淡い笑みを浮かべた。
「私、あの先生の大ファンなんです」
「病み上がりなのに、どうしても行きたいって聞かなくて」
娘の方が呆れと心配の入り交じった顔でその背中をさする。
「お母さん、大丈夫?」
その様子を見て、浅田はすぐさま動いた。
「ちょっと待っててくださいね。あ、伊東課長、ちょっとお願いします」
近くにいた伊東を呼んで最後尾の看板を押しつけると、浅田は急いでバックヤードに引っ込み、一脚の椅子を持ってきた。
「もし良ければこちらを使って休んでください」
「ありがとうございます、助かります」
椅子に腰掛けたところで、ようやくその母親は一息つけたようだった。
「私が代わり並んでおくよ。順番が来たら呼ぶから、お母さんは休んでて」
娘はその母親の代わりに列に並びに行く。その様子を見ながら、浅田は母親の方に話しかけた。
「お優しいお嬢様ですね」
母親は無言のまま、にっこりと優しく微笑んだ。
20分ほど経って順番が回ってきたようで、娘が母親を手招きして呼んだ。浅田はその母娘がサインを貰う一部始終を遠目に見つめていた。母親の方がどこか悪戯っぽい笑みと共に本を差し出すと、それを受け取った作家の方は少し驚いた様子だった。だが、やがてその二人の顔に親密な微笑が広がっていく。娘の方はその作家にはさほど興味が無いようで、母親の後ろに立ってサインのやり取りを眺めていた。だが、途中で二言三言、その作家に何かを話しかけられたようで、娘は少し戸惑いながらも短い言葉で返答していた。
帰り際、サイン本を手にした母親が浅田に向けて会釈し、それに倣うように娘の方も小さく頭を下げていた。
「あとはもう大丈夫だろう」列が概ね捌けたところで、伊東が浅田に声をかけた。
「後片付けは私が手伝っておくから、浅田さんは売り場に戻ると良いよ」
その申し出に甘えて浅田が3階に戻ると、珍しく売り場には外商部の久田の姿があった。
「ワコちゃん、どうかしたの? 何か探し物? お客さんに注文された?」
浅田が話しかけると、久田は僅かに戸惑った様子でフロアをきょろきょろと見回した。
「ううん、ちょっと気になって来てみたの。なんていうか、その、嫌な感じがして……」
久田の言葉尻はどことなく暗かった。浅田は眉を寄せる。昔から久田には妙な第六感のようなものがある。そのことを知っている浅田は、神妙な顔で問い返す。
「嫌な感じって、このフロアが?」
そのときだった。
什器が倒れるようなガシャン、という大きな音がフロア中に響いた。すぐさま、
「お母さん!」
と叫ぶ少女の声が聞こえた。浅田と久田は咄嗟に音の発生源に目を向ける。
エスカレーターのすぐ側にあるトルソーが倒れ、そのすぐ側に女性が一人、胸を押さえて蹲っていた。傍らにはその娘らしき姿も見える。
——先ほどの母娘だ。
それを理解するよりも早く、浅田はその二人に駆け寄っていた。

作家プロフィール
南海 遊(みなみ あそゔ)
秋田県横手市出身、岩手県盛岡市在住。2018年、『傭兵と小説家』で第24回星海社FICTIONS新人賞を受賞し、翌年作家デビュー。2024年に刊行された『永劫館超連続殺人事件 魔女はXと死ぬことにした』は、各誌のミステリーランキングに名を連ね、ミステリー界の注目株として高い評価を受ける。会社員として働く傍ら、作家活動を続け、盛岡文士劇にも出演するなど、多方面での活躍に期待が寄せられている。
■作者コメント
まだ20代の時分、私はこちらの川徳で働かせていただいておりました。
私のこれまでの人生で、あれほどまで多種多様な人たちと出会った時代は無かったと思います。そしてその経験は間違いなく、現在の私の執筆の礎になっています。今回、川徳を舞台にした小説を書く機会をいただきまして、当時のことを懐かしく思い出しながら執筆させていただきました。
歴史ある百貨店の中で「繋がっていく物語」を、どうか楽しんでいただけると嬉しいです。








