川徳創業160周年記念連載小説
FACES 第7話
南海 遊

「お客様、大丈夫ですか!」
浅田が屈み込んで声をかけるも、女性は苦しそうに顔を歪めたまま、口をぱくぱくと開閉させるだけだった。
「心臓の病気なんです!」
娘が浅田の腕を掴み、涙ながらに訴える。
「先週、一時退院したばかりで……大丈夫だって聞いてたのに……お母さん、お母さん!」
少女は顔面を蒼白にしながら、何度も母親の名を呼ぶ。浅田は咄嗟に久田の方に叫んだ。
「医務室の先生を呼んで、すぐに!」
久田は頷き、すぐさま内線をかける。この近くの病院だと岩手医大附属病院だ。救急車はすぐに来るだろう。しかし、ここは3階である。この場合はどうしたらいい? すぐに搬送できるように1階まで連れて行く? それとも、無理に動かさない方がいいのだろうか? 泣き叫ぶ少女の声と悶絶する母親の呻き声が、浅田を急かす。
「その人を横にしてください!」
突然、そんな強い語気の声を掛けられる。振り返ると、白衣を着た女性の医務担当者がオレンジ色の鞄のようなものを手に駆け寄ってきていた。彼女は落ち着いた様子で周囲の従業員たちに指示を飛ばす。
「衣服を脱がせますので、他の人たちはパーテーションをお願いします」
フロアの従業員たちはすぐさま手近にあった什器や衣服を使い、その女性を取り囲むようにして囲いを作る。医務担当者は持ってきたオレンジ色の鞄を開け、その中にある自動体外式除細動器——すなわちAEDを取り出した。そして苦しむ女性に優しく話しかける。
「首の小さな動きだけで結構です。私の声が聞こえますか」
しかし、女性の呼吸はどんどんか細くなっていく一方で、意識的な反応は無い。何度か声をかけたが、やがて呼吸すらも止まってしまった。それを確認すると、彼女は躊躇無く人工呼吸と心臓マッサージを開始する。その間、娘は泣きじゃくりながら母親の手を握っていた。
「浅田さん、私の指示通りにAEDを操作してください」
「わ、わかりました!」
浅田はその女性の衣服を脱がし、AEDの電極パッドをその女性の胸に取り付ける。心電図を測る旨のアナウンスが機械から流れ、続いて電気ショックを必要とする旨の音声が流れた。
「皆さん、少し離れて」
医務担当者が強い語気で言う。
「電気ショック、行きます」
浅田が娘を母親から引き剥がすと同時に、医務担当者がAEDの点滅するボタンを押した。女性の身体が一瞬大きく痙攣する。そして次の瞬間にはその女性は苦しそうに咳き込み始めた。呼吸が戻り、開いた瞼の先の瞳に意識の色が見え始める。医務担当者はそんな彼女の目を覗き込みながら訊ねる。
「私の声が分かりますか?」
すると、女性は瞼を何度かぱちぱちと閉じながら、小さな振幅で首を縦に動かした。それを見て、娘がわっと泣きながら母親に縋り付く。
「お母さん、良かった……」
そのとき、店の外から救急車の音が聞こえてくる。それから間もなく、救急隊員が駆けつけてくるのが見えた。医務担当者が呼んでいたのだろう。
「あとは救急隊員に任せましょう」
医務担当者が立ち上がるのと同時に、久田が毛布を持ってきて母親にかけてあげていた。その際、母親の方がか弱い声で何かを久田に話しかけているのを、浅田は遠目で見た。それに対して、久田が神妙な顔で頷く姿も。
間もなく、その女性は救急車で搬送されていった。娘は救急車に同席して乗る直前、浅田と久田に深々と無言で頭を下げていた。
去って行く救急車を見送った後で、浅田は思わずその場にしゃがみ込んでしまった。3月だというのに背中にはじっとりと汗を掻き、未だに心臓が早鐘を打っている。自分一人ではとてもじゃないが対応できなかっただろう。そこで浅田ははっとして立ち上がり、傍らに立っていた久田に頭を下げた。
「ありがとう、ワコちゃん」
「……うん」
久田は救急車の去っていた方角を見つめながら、心此処にあらずといった様子で頷く。その様子が浅田には気になった。
「どうしたの、ワコちゃん、大丈夫?」
「え、ああ、うん。とにかく、一命は取り留めたみたいで良かったね」
「さっき、あの女の人に何を言われたの?」
浅田がふと気になったことを訊ねると、久田は無言で首を横に振る。そしてゆっくりと空を見上げた。夕暮れに照らされた久田の横顔には、どこか痛みに耐えるような寂寥が浮かんでいた。
それから数日後、鹿野から浅田に電話がかかってきた。それは香典返しの準備をお願いしたい旨の連絡で、実娘が亡くなったことを告げる電話だった。
「病状が急変して、最期は殆ど苦しまずに逝ったようだった。病床の娘から話を聞いたよ。百貨店の人たちが応急処置をしてくれたとな。そしてそれがあんただということもわかった。孫があんたの胸の名札を覚えていたんだ。こういう結末になってしまったが、あんたが気に病むことは何一つない。むしろ、あんたのおかげで私は娘とちゃんとお別れをすることが出来た。本当に感謝するよ。これまでの無礼を詫びて、前言を撤回させておくれ。あんたは立派な百貨店員だ」
その電話があった翌日の閉店後、上司の岩橋が神妙な顔で浅田の元に一通の手紙を持ってきた。そこにはこんなことが書かれてあった。
「浅田様 久田様
先日は店内で倒れた母の看病をしていただき、本当にありがとうございました。
残念ながら母はその五日後にこの世を去ってしまいましたが、皆様のおかげで最期に多くの方々と話すことができました。あのとき、皆様が必死の思いで母の命を繋げようとしてくれたおかげです。
母は昔から川徳が大好きでした。私も幼い頃、よく母に手を引かれて川徳に行きました。そのたびに、まるで宝石箱の中に迷い込んだようなわくわくした気分になり、私も川徳が大好きになりました。
きっと母も、最期に皆様の真心の籠もった接客を受けることができて嬉しかったと思います。改めまして感謝申し上げます。鹿野美咲」
ブルーブラックのインクのボールペンで書かれたその手紙を読み終えたとき、浅田はバックヤードで思わず泣き崩れてしまった。
その涙がいったい自分のどこから溢れ出してくるのか、浅田には分からなかった。得体の知れない達成感に似た感情と、それに対する自責、そして途方もない無力感が、浅田の胸の奥を強く強く締め付けていた。
「詩織ちゃん」
ふと気づくと、浅田の傍らには久田が立っていた。彼女は浅田の肩に手を回し、優しく抱き締めた。
「私たちは、やっぱりちょっと特別な仕事をしているんだよ」
久田は告げる。
「相手は全くの赤の他人だけれど——私たちの仕事は、その人の人生の1番辛いときや、1番嬉しいときに寄り添うことが出来るんだと思う」
そう言って、久田はハンカチを浅田に差し出した。そして、微笑む。
「鹿野さんの香典返しを選ぶの、私も手伝うからね」
浅田は頷き、そのハンカチで目元を拭う。
涙はまだ溢れてくるけれど、それでも、彼女は顔を上げた。

作家プロフィール
南海 遊(みなみ あそゔ)
秋田県横手市出身、岩手県盛岡市在住。2018年、『傭兵と小説家』で第24回星海社FICTIONS新人賞を受賞し、翌年作家デビュー。2024年に刊行された『永劫館超連続殺人事件 魔女はXと死ぬことにした』は、各誌のミステリーランキングに名を連ね、ミステリー界の注目株として高い評価を受ける。会社員として働く傍ら、作家活動を続け、盛岡文士劇にも出演するなど、多方面での活躍に期待が寄せられている。
■作者コメント
まだ20代の時分、私はこちらの川徳で働かせていただいておりました。
私のこれまでの人生で、あれほどまで多種多様な人たちと出会った時代は無かったと思います。そしてその経験は間違いなく、現在の私の執筆の礎になっています。今回、川徳を舞台にした小説を書く機会をいただきまして、当時のことを懐かしく思い出しながら執筆させていただきました。
歴史ある百貨店の中で「繋がっていく物語」を、どうか楽しんでいただけると嬉しいです。








